カニータ・ティス
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Kanitha Tith/カニータ・ティス (1987年カンボジア プノンペン生まれ、在住)
Photo by Rattana Vandy
プノンペンを拠点に、彫刻やパフォーマンス、インスタレーションなど多岐に渡るメディアを用いて領域横断的に作品を制作している。プノンペンのロイヤル・ユニヴァーシティ・オブ・ファインアーツにてインテリア・デザインを専攻し、2008年に修士号を取得した。フレンチ・カルチュラル・センターやボパナ・センターなど、カンボジア国内にある数々の主要な施設で展覧会を開催。近年の活動としては、2012年に、ベルリンのMeinblau and Mikael Andersen galleriesでの展示にて、プノンペンの自宅で行ったコミュニティ・プロジェクト「SurVivArt」で使用した部屋を移築し、再現するインスタレーションを制作した。また、映像制作にも関心を持ち、フランス系カンボジア人の映画監督Davy Chouとアメリカ系カンボジア人のミュージックバンド、Dengue-Feverのプロジェクトに衣装デザイナーとして参画し、コラボレーションを行った。2010年には、芸術活動を通じて、カンボジア女性の権利や社会的立場の向上のために貢献した女性に贈られる『You Khin Memorial Women's Art Prize』を受賞した。
作品においては、ティスの個人的な経験や記憶と、急速に変化するカンボジアの状況など、身の回りで起こる変化・環境との関係性が表現されている。細い針金を編み込んで制作した彫刻作品は、カンボジアの伝統的な調理釜から集めたワイヤーなど、カンボジアでは日常的に見ることができる素材が使われている。そこには、子どもの頃の記憶に加え、個と公共をまたぐ場や、人とそれ以外のものの関係性への関心が映し出され、コミュニティが抱える問題との関り方、ジェンダーや女性のアイデンティティーなど、アーティストの役割とその可能性への問いが表現されている。ティスの作品は、近年のカンボジアが迎えている個と都市空間における経済や社会の変化や、身の回りの環境の変化を喚起する、視覚的で詩的な表現であるといえるだろう。
滞在期間:2015年5月14日-8月7日まで
助成機関:バッカーズ・ファンデーション
展覧会:The BAR Vol.8 「Today of Yesterday - 過去に在る、いま」カンボジアからのアーティスト、ラッタナ・ヴァンディーとカニータ・ティスの新作展 (2015年7月11日(土) - 2015年7月25日(土)、 会場:山本現代)
オープニング・レセプション:2015年7月11日(土) 18:00 - 20:00
トーク: AIT ARTIST TALK #67
「映像とトークで触れるカンボジアの『過去に在る、いま』」カンボジアより、アーティストのラッタナ・ヴァンディーとカニータ・ティスを迎えて (2015年7月15日(水)19:00-21:00 会場:AITルーム代官山)
Season of Cambodia, Transparent Studio at Bose Pacia, NYC
photo courtesy: Pete Pin
"Endlessly"(2011), Photo by Heng Ravuth
"Untitled" (2011), Photo by Heng Ravuth
Installation view of SurVivArt project "Hut's Tep So Da Chan" (Berlin)
SurVivArt project (Phnom Penh)
《アーティストからの滞在の感想とコメント》(掲載日:2015/12/3)
質問1:バッカーズのレジデンスはどうでしたか?
「このレジデンス・プログラムに招かれ大変感激しました。そして誇りに思っています。プログラムには十分なサポートがあり、私達への激励や、制作のために必要な空間を提供してくれました。」
質問2:滞在で最も印象に残った経験は何ですか?それは制作にどのように影響していますか?
「カンボジアから離れるといつも思うのですが、中にいるよりも外からの方が、自分の国をより冷静に見ることができます。日本は私が訪れたかった一番の国であり、日本の現状を知りたいと常に思っていました。特に日本文化や発達した技術に興味を持っていました。初めて日本に到着して、成田空港から文京区にある滞在場所へ行くために電車に乗るところから、すでに格闘が始まりました。現代的な日本に足を踏み入れることは、全く外の地域から来た人間にとって戸惑いがあります。一方で、親近感を覚えたことは、どこかで同じ文化を共有していることでした。たとえば、家に入る時には靴を脱ぎ、食べる前にあいさつをすることです。また、私は自分の国ではいつものんびりした時間を過ごしていますが、ここでは腰を降ろす暇もない程に忙しく働く人々の姿を見て、常にそのような人たちに囲まれていることに心を奪われました。そんな日本の人々の姿に鼓舞され、この良いエネルギーを自分の国に帰ってもずっと保ってゆきたいと思いました。
また、お金を使うことと私の関係性も、ここまで大きく変化するとは考えてもいませんでした。私は東京で1日に100ドル、その多くは日々の食事のために使いました、それはプノンペンであれば、まるで水が流れるようなお金の使い方であり、そんな風にお金を使うことは今までなかったのです。そして、街中でカラスをはじめ多くの鳥が見られることにも驚きました、また、それらの鳥がこんなに美しい存在であったことに気付きました。カラスはその黒い色から悪運のしるしとされ、私の街であまり見られない鳥なのです。
そして、アートシーンにおいて、多くの興味深い方々とお会いできたことはとても喜ばしいことでした。カンボジアではそのような繋がりがあまりありません。また、街の印象として、東京は、プノンペンとは正反対に、私にとっては全てが新しく綺麗でした。私の友人が初めてプノンペンに来て気付いたのは、東京では探せないような街のにおいだったと言います。
AITのチームは作家をよく理解し、サポートしてくれました。また、私にとって必要な、自分に向き合うための空間や時間を与えてくれました。今回の滞在を経て、私は彫刻についての自分なりの定義を見つけることができました。私は私自身に問いかけました、なぜ彫刻を作る必要があるのか、と。私は自分を新しい作り手とは考えていません。この世界には何も新しいものはないと思うからです。彫刻について私はどの位のことを知っているのか、歴史上、彫刻を作ってきた作家とは誰なのか、その表現や形は?そして、彫刻を作り始める前に、私が自分に問いかけなければならないことは他に何があるのでしょうか。これらの知識を完璧に頭の中で理解することよりも、私にとって一番重要なことは、素材の質感を感じられるということです。素材が生きて私と会話をするように、素材の声に耳を澄ませる力を自分に与えました。そうして、私の手にある素材と交わした会話から、彫刻を作ることができるのです。」
2015-6- 1