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アティコム・ムクダプラコーン レポート

1)目的、興味のある分野

私は、2016年2月1日から3月31日まで、AITのレジデンス・プログラムで東京に滞在しました。今回の来日まで、私は日本のアートシーンについてそれほど多くを知りませんでした。しかし、AITのサポートを受けて、最も活気に満ちた東京に滞在することは、自分の興味をさらに掘り下げる良いきっかけとなりました。

私は元々、拠点であるチェンマイを足がかりに、バンコク周辺におけるアートの歴史を研究したいと考えていました。タイでは、口伝えで語られることは多くとも、アートの歴史研究はあまり見られません。そこで私が始めた研究対象のひとつに、24年前から開始された「チェンマイ・ソーシャル・インスタレーション」(1990年代〜)というユニークなアートフェスティバルがあります。これは、10年に渡り、アーティストや文化人、アクティヴィストらによって、幾度か公共の場で行われ、のちにタイ国内で数多くみられるようになったアートと政治のムーヴメントの原点となっています。世界中からアーティストが参加し、その中には、当時、あらゆる公共空間で数々のアートフェスティバルを企画した中村政人氏の姿もありました。そうした一連の大きなうねりの相関関係は興味深いのですが、未だぼんやりとした部分も多く、そのはじまりを明らかにしたかった私にとって、この滞在はとても良い機会となりました。

また、AITからは、タイで起こっている政治的な局面の様子と、そこにアーティストがどのように関わっているのかを尋ねられました。それらを明確に見せることを目的として、滞在中に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットでカラオケを」展を企画しました。これは同時に、日本社会に対する自分の視野を広げることにもつながりました。

2)滞在期間の活動・制作

2016年2月12日〜20日まで開催された、映像とアートのフェスティバル「第8回恵比寿映像祭」の地域連携プログラムとして、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットでカラオケを」展を企画し、代官山AITルームで展示しました。2012年に結成したタイのアーティヴィスト集団(アーティスト+アクティヴィスト)のNitimon(ニティモン)による映像作品をこの展示のために再編集し、日本の観客にカラオケのようにタイ語で一緒に歌ってもらいました。そこでは、タイの政治と社会の歴史に深い洞察を与えている彼らが制作した3つのショートフィルムも合わせて上映しました。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットでカラオケを」展の初日に行われたトーク・イベント
撮影:浅井隆晃

また、3月12日には、AITの主催により原宿で行われたトーク・イベント「Thai Art Night:編み目をくぐれ!タイの最新アート事情」に参加しました。ここでは、チェンマイで盛り上がりを見せているアートシーンや、私が携わるチェンマイ・アート・カンヴァセーションの歩みを紹介しながら、ゲリラ的に行われるパフォーマティヴな表現などを、未来に向けてどう記録に残すことができるのかを話し合いました。

滞在中は、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)、東京オペラシティーアートギャラリー、遊工房アートスペース、水戸芸術館など、数多くの展覧会にAITスタッフの東海林さんと足を運びました。どの展示も興味深かったのですが、特にサイモン・フジワラさんの「ホワイトデー」展と、田中功起さんの「共にいることの可能性、その試み」展は特に印象に残りました。また、おそらくタイでは上映されないであろう、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督による新作映画「光りの墓」や、上野ストアハウスで行われた、ダンスカンパニーB-Floorによる「Red Tank」も観に行くことができました。この他にも、同時期にリサーチのためにタイから来日していた友人たちと、多くの展覧会やアートスペースに足を運びました。

茨城県守谷市にあるアーカス・プロジェクトを訪問

同時期、トーキョー・ワンダーサイトに滞在していたアーティスト達

「アーツさいたま・きたまちフェスタ 2016 ASK祭」

サイモン・フジワラ「ホワイトデー」展を鑑賞

3)取り組んだプロジェクト

日本人アーティストの小鷹拓郎さんと、様々なアートプロジェクトを手がける居原田遥さんから声をかけてもらい、「Don't Follow the Wind」展の共同キュレーターを務めたジェイソン・ウェイトさん、国立奥多摩美術館館長の佐塚真啓さんとともに、足立区千住関屋町にできた新しいアートスペース特火点で、「模合MOAI vol.1: 100年後の芸術|ART, 100 years later」というイベントに参加しました。ここで、タイにおける政治とアートについての取り組みと、アートのこれからについてレクチャーをする機会を得ました。

4)滞在で得たこと、今後の活動

滞在を終えた今、展覧会やアートフェスティバルをつくることにおいて、日本とタイは強い関わりがあることがわかりました。しかしながら、過去にみられた相互の関係は、それはアートを軸としたムーヴメントとまではいかず、世界的なアートのトレンドのもと、それに同調するアーティストの実践のみに留まっているのではないでしょうか。なぜなら、複数のアーティストたちが国境を越えて、社会的状況に影響を及ぼし合うことを目的とした意見交換や、恊働から生まれるアートの大きなうねりはあまり感じないからです。タイと日本、私たちはアジア諸国で見られるような「国からの抑圧」という葛藤を持ちながら、特に第二次世界大戦後の歴史において多くを経験したものの、国は自らの誇りを傷つけまいと、目の前の出来事を正視できずにいます。数十年に渡るその拒絶は、結果として社会に重々しい空気を生み、無関心な政府と疲弊した人びとをつくりました。
今となっては使い古された言い方かもしれませんが、アートとは、ひとりひとりをたくましくするものであるべきではないのでしょうか。アーティスト自身が今も自由を信じるならば、この課題から目をそらすことはできません。アジアに住む多くの人々にとってよりよい社会をつくるため、私たちはどのように交渉していけるのでしょうか。そのために、アーティストはどのように思考回路をコンセプト化し、実践すべきでしょうか。
この問いは、私の関心をアートそのものよりも、アートをその一部とする社会の歴史へと転じさせました。

チェンマイにある私の団体、チェンマイ・アート・カンヴァセーションは、今後、国際交流基金と恊働して、アジアン・カルチャー・ステーションという新しい活動をはじめます。国を分け隔てることなく、社会に関わる実践を拡張し、今をいきている私たちが何者なのか、理解を深めたいと考えています。そのために、この滞在中に出会った人々とは、これからの活動を共にする仲間となりうるでしょう。 また、私はMute Muteという団体に所属するアーティストとして、スーパーオープンスタジオを訪れることができたのは、非常に良い経験でした。そこでは一緒にプロジェクトをしてみたいと思える多くの魅力的なアーティストたちに出会いました。これを機に、より関係を深めてゆきたいと思います。

相模原市のスーパーオープンスタジオを訪問

5)あとがき

あまりに個人的な感想かもしれませんが、公的資金をもとにしたアートプロジェクト、少なくとも私が訪れたものは、いつも"きれいに"提示/展示されていますが、あまり活気がないように感じられました。実験的な要素や、恐れることのない大胆さが見当たりません。それらは、私を心地良い気分にしてくれますが、新たな発想を得るには少し物足りないようにも思いました。



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