TAS2020レポート:気候変動危機の今−社会の崩壊、適応、希望& 2020年気候危機ヘッドラインニュースを振り返る(2020年10月28日)
現代アートの教育プログラム「Total Arts Studies 2020」
UBIAゼミ「静かになった美術館:パンデミックや気候危機からアートを考える(UBIOS=宇宙美術オンラインシリーズ)」より
日時:10月28日(水)19:00-20:30
講師:ロジャー・マクドナルド(AIT、フェンバーガーハウス館長)
場所:オンライン(AIT Zoom ルーム)
現代社会における世界規模の課題として、気候変動による危機が挙げられます。
1987年の国連総会で気候変動枠組条約が結ばれてから30年以上経ち、世界各国では環境運動やさまざまな取り組みが行われてきました。
今回は講師のロジャー・マクドナルドによって、情報の渦と加速する資本主義のシステムの中で自分や社会に矛盾を抱えながら、気候危機がもたらす影響と共に生きる方法について考察しました。
■気候変動のおさらい/どのくらいひどいのか?
まずはじめに、気候変動の原因や仕組み、世界の目標と現状の共有など、気候危機の基本的な情報についてのおさらいがありました。
現状について多くの科学者たちは、気候危機への人類への最期の警告はもう通じず、今の現実を正直に受け入れ、全員が気候危機による影響に適応せざるを得ない時期にきたと主張しているようです。
即時の脅威には緊急性をもって対策がされるのに対し、未来にある脅威には楽観的なバイアスがかかりやすい傾向にあり、人間がつくる社会システムの不完全さを感じました。
■気候変動と哲学・思想
人間が想像できないスケールや時間をともなう事物を「ハイパーオブジェクト」と呼ぶそうです。(イギリスの哲学者ティモシー・モートンが提唱)気候変動もそのうちのひとつですが、ロジャーさんのお話を聞き、「ハイパーオブジェクト」を物語や神話に落とし込み、儀式などのアウトプットにつなげてコミュニティで実践していくことは、気候危機を受容するための実践的なスキルのひとつとして考えられるのではないかと思いました。
また、気候危機のトピックは、深く関わるにつれネガティブな感情に対峙する傾向にあり、このトピックに関わる人のメンタルヘルスへの影響とケアについても問題になっているといいます。
そうした感情との付き合い方として、瞑想、自然と共にいること、家族や友人との会話など具体的な方法の例が挙げられました。
また、気候危機について考える際には希望についても深く考える必要があり、支え合うこと、独自の想像力の切り口から現実と関係を結ぶことなどが大切だと感じました。
■2020年の気候危機にまつわるニュースの総括
レクチャーで紹介されたニュースの中には希望や可能性を感じるものもありましたが、どこまでも資本主義のシステムに依存するかたちで対策が練られるのだということと、特に複雑で困難な課題とはいえ、緊急性のある具体的な対策は未だ少なく、何もかもを未来に先送りするような社会の態度には怒りと絶望さえも感じます。
■キーワード:適応
'Deep Adaptation: A Map for Navigating Climate Tragedy',(Jem Bendel, 2018)では、適応のための4つの要素が挙げられており、この要素を軸にお話を伺いました。
1 保持したいものをどのように保持できるのか? -回復力
2 状況が悪化しないためには何を手放すのか? -放棄
3 困難や悲劇を乗り越えるために何を取り戻せるのか? -復元、復活
4 苦しみを和らげるために何ができるのか? -和解、仲直り
この4つのポイントは、困難な状況を生きる上で参考にできる視点だと思いました。
■どうしたらよいのか?
これらの事実を前にしたとき、さまざまな考えや、感情が渦巻きます。ロジャーさんも「感情のローラーコースターの旅に出る」と話していましたが、僕自身この問題を受けとめて、考えて、言葉を出すまでにすごく時間がかかりました。
気候危機は自分の生活に影響を与えると思う点ではリアリティのある問題ですが、自分が個人でできることはとても小さく、正直、他者とこのような問題を共有することにも限界を感じています。
(その限界とは、ある意味「人間」の限界かもしれません。例えば永井豪の漫画『デビルマン』を読んだときの感覚にも近いと感じます)
僕は最近、そうした漫画の世界に描かれるようなリアリティの中で生きていると感じていることがあるのですが、自分の命を取り巻く環境(身のまわりの風景や、人間)との関係性がよくわからず、そこに求めるものや、それらを守りたいという気持ち、自身が生きのびたいという気持ちすらも正直湧いてこない時があるのです。
だから、こうして言葉を書くことも含めて、どのように、この気候危機の問題と向き合ったらよいのかがわからず、迷います。
ただ、その迷いの中で思ったのは、生きのびることを目的とした「適応」には、今の自分はあまりリアリティが持てない反面、「もう死んでも大丈夫」と思える瞬間には、なぜか生の輝きを感じるということでした。
生まれてきてはやがて死ぬことを「絶滅」とするなら「絶滅」をどう解釈していくのか?
その解釈を生きている間、生きることを通して、態度の彫刻をつくる感じで、死ぬまでやっていくしかないのかなと、今はそう思っています。
R.N
2020-12-11