ヤン・シェプチック、フランシスジェック・オルロフスキー レポート
1)目的・興味のある分野
フランシスジェック・オルロフスキーと私は、エイトのレジデンス・プログラムで 、2014年1月から2月にかけて、東京に滞在してリサーチを行った。ふたりとも日本へ来るのは初めてで、世界のこの地域で、一体何が待ち受けているのか全く想像もつかなかった。私たちはまず、ヨーロッパとアジアにおける文化と歴史の関係について調べるところから始めた。私にとって、最も興味深かったことは、 日本には、まるでスポンジのようにいち早く他の文化を吸収し、すぐにオリジナルのスタイルへと適応させる特性があることだった。
2)滞在期間の活動・制作
私たちは、上板橋駅の近くに滞在していたので、東京のあらゆる側面を見ることができた。上板橋はとても静かな住宅街でありながら、たった15分程電車で移動すれば、活気のある街に行くことができた。今でもよく覚えているのは、日本に来た最初の週に、近くのスーパーマーケットに買い物にでかけた時のことだった。売られている全ての商品は、パッケージを開けてみるまでその中身が何なのか全くわからないという、毎回が新鮮で驚きに満ちた体験だった。そして、時間が経つにつれて、日本の素晴らしい食文化についてだんだんと理解を深めていった。今でも私たちの朝は、一杯の味噌汁から始まる。
エイトのアレンジで、私たちは、日本と西洋のアート・シーンの相違を垣間見る多くの機会を得た。エイトのスタッフと共に、東東京をはじめ、白金高輪のギャラリーコンプレックスなど、色々なイベントや展覧会のオープニングに足を運んだ。なかでも特に強烈な印象を受けたのは、閑静な住宅街にあるコレクターのプライベート・ミュージアムを訪れたときのことだ。安藤忠雄氏の設計でつくられたその美しい建物は、オラファー・エリアソンなどの名だたるアーティストとのコラボレーションで構成されており、インテリアはミニマルな仕上がりとなっていた。同施設は、プライベート・ミュージアムとしては非常に興味深い特徴があった。なぜならプライベートと称しながら、一部のコレクションは外装の一部をなしており、建物の内装と外装がまるでプライベートとオープンの境界を自由に行き来しているかのようだったからだ。
東京でのリサーチ活動の間に、私たちは 「首都圏外郭放水路」と呼ばれる、巨大な地下施設を見つけた。これは、洪水が起きた際に河川の水を取り入れて災害を防ぐ、世界で最も大きい地下トンネル施設である。この壮大で素晴らしい建築で、『Mizukiri(水切り)』という映像作品を撮影した。この映像制作にあたり、漁師の息子である2人の若い少年に、撮影に参加してもらった。少年たちは、前回の雨により自然にできた水たまりを使い、「水切り」と呼ばれる、小石を投げて水面ではねさせる遊びをしてもらった。このシーンをとおして私たちは、水という資源を管理する必然性とその営みの、瞑想的な性質を捉えたかった。投げられる小石は沈むことなく、弾みながら容易に反対側へ届いた。映像作品『Mizukiri(水切り)』 は、フランシスジェックと私の初めての共同プロジェクトであり、お互いのアートに対する様々な態度が込められている。私たちはさらに、日本人の若手アーティスト森健太郎氏と共に『24HOURS - 24時間、わたしとあなたの身体を交換してもらえますか?』というプロジェクトを行った。
レジデンスの最後に、私たちはアートや建築、日本の文化が好きな人なら必見の場所である直島を訪れた。私たちは安藤忠雄氏の建築に魅了され、また幸運なことに本人とも会うことができた。
また、広島県尾道市にある小さな離島「百島」は、とても印象的な場所で、私はそこで柳幸典氏により始められたアート・プロジェクト「ART BASE百島」を訪問することができた。
前述の通り、日本はさまざまな異文化を吸収するスポンジのようであり、柳幸典氏はアメリカの文化を日本のアートに取り入れて再定義をしたアーティストの一例であると言えるだろう。
3)今後の活動
東京滞在の経験はとても刺激的だった。 多くの素晴らしい人たちに会うことができ、これまで自分が持っていた日本のイメージを変えた。そして今でも、日本への好奇心を掻き立てられている。
日本でのレジデンスの経験が、今後の作品制作にどのように影響を与えるか、現段階で言及することは難しいが、私は自分の祖父からの素材をもとに展覧会を準備しており、日本の美学がこのプロジェクトへの自分の意識になんらかの影響を与えると考えている。
文化庁へ戻る